2019年10月1日 学校の勉強は意味がないどころか有害。勉強すればするほど儲けられない理由。

学校の勉強は意味がないどころか有害。勉強すればするほど儲けられない理由。


全国の小学生や中学生、高校生、大学生の、「勉強したくない」みなさま、こんにちは。

その気持ち、正解かもしれない。

 

今日は、

学校の勉強が無駄だったな~という気持ち

が高まったので書いておこうと思います。

義務教育も、大学受験も、自分で選んだはずの大学の学部での勉強も、無駄だったと思う。

 

何が無駄って、仕事としていろいろやって、どこかで「儲ける」事をやらなければならない時に、ほとんどの勉強が無力だから。

儲かる構造は毎年のように変化していて、新たに生まれた儲けは既存の企業が変化についていけなくなって手放した儲けが原資だから。

変化に常に飛びついていける会社組織でない限り、常に儲からなかった時の責任のなすりつけ合いが行われている。

まず大きな組織にいたら自分の意志で変化にとびついて儲ける、ということは出来ない。

 

変化をとらえて儲けるために、前に進む為には「前に進む意思」がまず必要だから。

知識とか、ノウハウとか、重要じゃないですね。むしろ有害。

知識とか、ノウハウは「過去」の経験や結果を元に作られてるけど、変化で儲けるための助けにはならない。

儲けたいから、まず勉強する、というのは最大の間違いだったな、と今思います。

儲けるためには、毎日1歩でも「前に進む」ことが必要だったのに、全然出来ていなかったな、と。

 

会社などの組織で働いて、最低限の生活に慣れてしまうと、最低以上に儲ける理由も意思も無くなってしまう。

同じことをするだけなら大きな失敗もしないから、最低限必要な行動も日毎にあやふやになる。

 

学生の頃は、意思もなく、学校教育をとりあえず目の前の課題としてやった

これはほんと、個性を見られていなかったし、将来の為にと考えて話してくれる大人がいなかった不運だと思う。

僕自身も我慢大会が続くという事をあまりに知らなかった、想像しなかったという罪もある。

しかし、あまりにほったらかし過ぎないか?そこまで個性ゼロの生徒だったのだろうか。

僕が勉強がしたくない子供と話す機会があったら、この文章を書くのと同じぐらいの熱意でじっくりと話をすると思うのだが。

学校の勉強が不要である理由を。

 

ともかく、昔の僕は学校の勉強はやった。

受験勉強の前に、必須でない科目は早めにやめた。

大学の学部では興味ある科目だけ良い成績を取り、興味がなくなればギリギリの「可」で単位だけ取って、すぐに忘れた。

 

大きな会社に入ってすぐわかった。

好きで選んだ学部の豆知識など誰も聞く耳持たず、会話にも出ないから、すぐに忘れた。

受験に必須な科目で覚えた事ほど約に立たず、道徳や家庭科のような

「受験に必要でもないのに、なんかやらないといけないみたいだから、嫌々ながらやる」

という科目がごまんとあり、やってはいけない事、ルール、乱してはいけない空気は更にたくさんあった。

それらを嫌々ながらも我慢して乗り越えて、高得点出せる人間は長く評価された。

 

勉強というのは「企業で働いたことのない」学校の先生たちが、

「こういうことを教えればいろいろな組織で役に立つ人間になるんじゃないの」という幻想

の体系だ。
先生たちはそれを自分の給料の範囲で、決められたルール通りに実施している。

それだけのものだ。誰も月給の元になる「儲け」のことなど、扱っていないし、誰も責任を取らない。

小学校、中学校、高校、大学の6+3+3+4の16年間、
「どこかの誰かの都合の為に、必要も無い、役に立たない事を頭に入れさせられ、我慢するスキルを磨く期間」
と言えるだろう。

当然の事ながら、多くの人が出来ない、やりたくない仕事を代わりに行なえば、それ相応の報酬を得ることが出来る。
だが、それは誰がやっても結果は変わらないし、代金を受け取って、時間が過ぎれば過去のことになる。

時代が変わって、ビジネスの仕組みが変わったり、大きな資本に買収されたり、上司が変わってしまえば、「また1から頑張ってね!」と我慢大会は1からやり直しだ。

我慢するスキルが高ければ、ビジネスの仕組みや、会社の枠組みや、上司が変わっても、我慢を始めることができるのかもしれない。
それでも、「効率を高めて」「品質を高めて」「ミスをしないで」とお金に関わる「ような」ことの要求は徐々に高くなる。

現場の人間に出来る事など、現実的には数%向上すれば良いほうだが、無能な経営者ほど、「2倍」「3倍」という数字を簡単に現場に要求する。
こうして我慢大会はバカな会社ほどエスカレートする。

年度末になれば「今年は自分で掲げた数値目標を達成していないよね」と突然「お金、いくら儲けた?」に近いことを管理職に聞かれる。

組織の中で「儲ける」ことを考え、必要な処理を行う部署や立場の人間などごく一部にも拘わらず「貢献度を数値で答えろ」という無茶な聞き取りが行われる。

学校よりもレベルの低いイジメの構造だ。

組織で働いても「儲ける」ということに関してはまったく学べない。

 

我慢スキルでなんとか乗り越えた~

としても、長い年月の間に世間では学生からでも自分一人でできたであろう副業ビジネスで成功者が現れる。

我慢大会は、一番儲かる方法では無かったのだ。むしろ、我慢大会に参加せず一人でも儲ける方法を先にやるべきだった。

仮に、やってみよう思うことが出来ても、本屋で本を探し、「勉強」しに入ってしまう。

知識が少ない、競合は手ごわい、とリスクばかりが目についてしまう。

「勉強」した結果、「やらない」という結論。よくある堂々巡り。

 

組織での我慢大会での勝ち目が見えないと、少し良さそうな組織に移っても、数年の社歴の差が増えるだけで別の形の我慢大会が待っている。

更に組織を移っていき、

どの組織にも我慢が出来なくれば、起業しか道が無くなる

ここではじめて「儲けなければいけない」という状態になる。

儲けるためのコアな仕組みは自分で考えつくしかない。

ヒントを得たくても、上司も、従業員も、顧客もいない。知恵や経験を借りることは出来ない。

締め切りも、約束も、来期の見通しも何もない。

会社のブランドもないから、信用も無い。

こういう状況で、「儲ける」為に必要な行動を積み重ねていく。

試しては失敗、が続く。

生活費が出るまで、批判しかない。
誰もそんなビジネス望んでいない、ズレてる、そんなのは仕事じゃないという言葉しか得られない。

それでも、

自分で行動して、失敗して、何が意味がある行動かわかっていってるんだからこれをどこまでもやっていけばいいじゃないか

と思う。

何が正しいかも示されないまま、やりたくない事をいつまでも我慢しつづけるより数段幸せ。

 

だから、勉強したくない生徒さん、学生さんに、言ってしまおうと思う。

 

学校の勉強は基本無駄だからやらなくていい、けど、その空いた時間でメルカリでおもちゃや本を売るんだ。

親がくれた物を一回、お金に換える。
物が無くなれば、心は自由になる。

売ったお金で、良い物を安く買い、高く売る。

物は何でもいい。物じゃなくて自分でゲームやアプリを作って売ってもいい。

時間かかってもいいからお金を増やし、親に、こずかいはいらない、進学もしない、と宣言する。

更にお金を増やし自分の生活費、親の生活費を毎月稼ぐ。

失敗したり、うまくいかなくなったら、他人の会社でしばらく働き給料を貯金する。

そして更に新しい儲ける方法を考え出し、お金を使って儲ける。

 

学校の勉強に使う16年を自分で儲ける行動に使うことができれば、きっと幸せに生活できるようになる。

 

 

 

 


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